創業100年を超える画材店・月光荘が育む文化と集いの場──3代目店主・日比康造さんに聞く

創業100年を超える画材店・月光荘が育む文化と集いの場──3代目店主・日比康造さんに聞く

浜田 夏実
2025.12.21

ギャラリーやブランド店が立ち並び、文化の街として賑わう銀座。大通りから静かな脇道へ入ると、日本の近代美術の歴史とともに歩んできた、1軒の画材店が佇んでいる。

創業108年の歴史を持つ月光荘(げっこうそう)画材店は、職人が手がける本物のものづくりや、「色感と音感は人生の宝物」というコンセプトを受け継ぎ、「オリジナル製品のみを取り扱う世界唯一の画材店」として知られている。

月光荘画材店には、子どもから大人まで、年代もジャンルも超えた多彩な人々が足を運ぶ。1917年の創業当時から、画材の製造と販売に加えて、カフェやサロンを開き、交流の場を作り続けてきた。

母体となる「月光荘画材店」、現存アーティストの作品や月光荘とゆかりのある名作に出会える喫茶「MAISON GEKKOSO」、生演奏を毎晩楽しめるサロン「月のはなれ」、絵の具工場とカフェバーが一体となった「月光荘ファルべ」(埼玉県入間郡)、お金をアートに置き換えてまちなかに価値を循環させる「Art Bank MITOYO」(香川県三豊市)と、現在では5つもの拠点を運営している。

今回は、3代目店主を務める日比康造(ひび・こうぞう)さんに、人々が集まる拠点を作り、文化を育むことをテーマにお話を伺った。月光荘画材店の理念を紐解きながら、アートと人々の豊かな関わり方を探ってゆく。

月光荘画材店3代目店主・日比康造さん。創業100周年を迎えた2017年に、母のななせさんから代表取締役社長を引き継いだ。音楽家としても活動している。【※1】

月光荘のあゆみ

月光荘画材店が開業したのは、第一次世界大戦の渦中にあった1917年。

明治27年に生まれた創業者の橋本兵藏氏(はしもと・ひょうぞう)は、富山県で少年時代を過ごし、18歳の時に、東京に憧れて上京した。彼がやって来た大正元年の東京は、「大正モダン」と呼ばれる、成熟した大衆文化が花開いた時代だった。

月光荘の原点となったのが、偶然にも、彼の勤め先の向かいに住んでいた、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻【※2】であった。両氏の歌集を愛読していた橋本氏は、思い切って家を訪ね、夫妻と彼らのもとに集う詩人や画家、音楽家たちと交流するようになったという。

そのなかで、当時の国産の絵の具は、品質と技術の点で輸入品に劣ることも多く、良質なものを入手するには、海外から数ヶ月かけて取り寄せるほかないという現状を知る。そして、芸術家の役に立つ仕事をしようと決心した橋本氏は、絵の具の輸入を開始。やがて資金が貯まると、現在の新宿・歌舞伎町エリアの角筈(つのはず)に店舗をオープンした。

猪熊弦一郎氏【※3】をはじめ、日本の近代絵画史を代表する画家たちが、高品質な画材を求めて通っていたそうだ。

開業当時の月光荘画材店の外観。建物の設計は、画家の藤田嗣治が監修した。斬新なデザインが話題を呼び、映画のロケーションとしてもよく使われたという。
この時から、ジャンルを超えた人々が集うサロンのような場所となっていた。
(画像提供:月光荘画材店)

2025年現在の店内の様子。ものづくりに丁寧に向き合い続け、こだわりの商品を取り揃えている。

人々が集まる場所から文化が育つ

—画材の販売に加えて、さまざまな地域でスペースを運営している背景について、教えていただけますか?

日比:月光荘画材店は、与謝野さんのサロンに集まるアーティストたちの生きざまに、祖父が心を打たれたことからはじまりました。カフェを併設したりお店にサロン的な要素があったりするのは、祖父の時代から続いています。場があって、人が集まるところに文化が育つという理念を、僕たちはずっと持ち続けています。

たとえば、バスケットボールとシューズを扱っている店があるとして、それがどんなに素晴らしい商品だったとしても、それらを使って遊べる場がなかったら面白くないですよね。みんなで集まれる遊び場があってはじめて、楽しみが生まれます。

演奏会を毎晩開催している「月のはなれ」
(画像提供:月光荘画材店)

日比:新しい拠点をオープンする時、僕たちはマーケット的な市場調査ではなく、「私情調査」を大切にしていて。自分たちが何をやりたくて、何ができることで、何を求められているのか本気で向き合います。

マーケットを自分たちで開拓し、バスケットコート——つまり人々が集う面白い場所を自ら創り出す姿勢を大事にしています。その結果、色々な地域にスペースを展開することになりました。

「月光荘ファルべ」の店内。絵の具工場にカフェバーが併設されている。コロナ禍で銀座の画材店をクローズしていた期間に、スタッフ自らがDIYで作り上げた空間。
(画像提供:月光荘画材店)

—2021年にオープンした埼玉県の「月光荘ファルべ」は、まさにスタッフの方々の手で作り上げた拠点だと伺いました。絵の具工場にカフェバーを併設するというアイデアは、どのように誕生したのでしょうか?

日比:絵の具工場で、職人が日がな一日色と向き合って製作している様子は、僕らスタッフは見慣れているけれども、日常では目にしない光景です。そこで、工場をエンターテインメントの切り口として捉え直せば、より多くの方々に面白いと思っていただけるのではないかと考えました。

お蕎麦屋さんで、職人が蕎麦を打っている姿を見ると、「今自分が食べているものは、こうやってできているんだ」と説得力を感じますよね。同じように、「あれだけの苦労をしながら絵の具を作っているんだ」と眺めながら、カフェバーで食事ができたら、アートファンの人たちがさらに楽しめる場になるかもしれないと思ったんです。

「月光荘ファルべ」工場で職人が絵の具を製造している様子
(画像提供:月光荘画材店)

—「月光荘ファルべ」にはアトリエもありますが、アーティストと地域の方々の交流も生まれていますか?

日比:プロとして活躍しているアーティストが長期滞在していたのですが、プライベートな時間にアトリエからカフェバーにふらっと降りてきて、子どもたちと絵を描いていたんです。その様子を見て、著名な人かどうかは関係なく、誰もが一緒に絵を描けるってものすごく豊かなことだと感じて。指導するのではなく、みんなで絵を楽しむのが日常になっている。そういう風景が生まれていました。

最近では、地域の方々から、「自分もアトリエを使ってみたい」という声が高まっています。絵を描いてみたかったけど、「月光荘ファルべ」を訪れるまできっかけがなかったという方が、思った以上に多くいらっしゃったんです。そこで、アトリエをプロ向けから一般レンタルに移行して、よりたくさんの方々に楽しんでもらえるよう、機会を広げているところです。

“ものづくりの焚き火”にみんなであたる


—それぞれの拠点で、アーティストとお客さんのやりとりで印象的だった出来事はありますか?

日比:サロンでは、アーティストとお客さんという2軸ではなくて、アーティストもお客さんだし、みんなフラットな関係なんですよね。

“もの作りの焚き火”にあたっているというか。「より面白い未来を作っていこう」という思いや美意識の焚き火を、みんなで囲んでいるイメージです。その火を絶やさないよう燃やし続けるのが、月光荘画材店の役割だと思っています。


—なるほど。一方向ではなく、誰もが関わり合える空間なのですね。

日比:その通りです。サロンには、子どもから大人まで、ジャンルも超えて幅広い方々がいらっしゃいますが、その人たちが掛け合わさった時の爆発力はものすごいですよ。目に見える動きだけではなくて、静かだったとしても、何かしらのスパークが常に起こっています。印象的な出来事がいくつかあるというより、いつもどこかで何かが起こっている状態です。みんなで焚き火にあたりながら、さまざまな交流が生まれることが、僕たちの原動力になっています。だからこそ、「場を作る」ということを大切にしているんです。

「月のはなれ」店内の様子
(画像提供:月光荘画材店)

—創造的な場にいると、刺激をもらえて創作意欲がわいてきそうです。そうした拠点に集えるのは、文化を育む上でとても重要だと感じました。

日比:もちろんそうであったら嬉しいですが、あまり難しく考えず、「僕たちにとって最高に素敵だと思える場所を作ったから、みんな来て!」という感覚です。刺激を与えようとか、偉そうな気持ちはまったくなくて。正しいところではなく、楽しいところに人は集まると思っています。


—お話を伺って、訪れる方々だけでなく、月光荘画材店のスタッフのみなさんもフラットな関係だと感じました。新しいアイデアは、お客様やアーティストとの会話から生まれることもありますか?

日比:たくさんありますし、それがまさに美意識のスパークなんです。本来、ビジネスは実現したい目標から逆算して計画を立てますよね。でも、僕たちは、青写真があってそこに向かって進んで行くという手法は取っていません。

みんなで砂場遊びをしているイメージで、勝手に掘ったり、砂や石を積んだり、途中で壊したり。色々なことが起こりますが、お互いに「それはそれでいいね」と受け入れるうちに、いつの間にかひとつのものが完成していて「おおっ」と感動する。そうした場からアイデアが生まれていきます。

それは、創業当時から変わっていなくて、祖父が猪熊弦一郎さんとともにスケッチブックを開発し、彼からの依頼で「チタンホワイト(No.1)」という油絵の具も製造したのも、さまざまな人々とやりとりするなかで生まれました。だからこそ、月光荘画材店では、アーティストとの対話や交流をとても大切にしているんです。

猪熊弦一郎氏が手がけた、上野駅 中央改札口の壁画「自由」。猪熊氏の「クリーミーな軟らかい白を作ってくれよ」というリクエストに応えて、油絵の具「チタンホワイト(No.1)」が製造された。

人々の感情に100年以上向き合い続ける


—月光荘画材店の理念を、長きにわたってどのように保っているのでしょうか?

日比:あまり難しいことではなくて、みんなが幸せを感じるポイントは、何年経ってもあまり変わらないと思うんですよね。もちろん、時代によって、生み出される作品の形状や音色、心地良いと感じるものは変化していきます。でも、コミュニケーションの中で、何に腹を立てるのか、どんなことに喜びを見出すのかは、それほど大きく変わりません。僕たちは、人々の感情に色と音の表現で向き合っているので、その姿勢をずっと大切にしたいと思っています。

もうひとつは、扱うものをきちんと決めることですね。「色感と音感は人生の宝物」というコンセプトを100年以上貫いていて、「色と音の輪を広げる」という目的は絶対に外さないようにしています。

月光荘画材店には、誰もが画材を手に取れる試し書きコーナーがある。訪れた人々がのびのびと描いた絵が、スケッチブックや大きな鏡に溢れている。

—たしかに、どんなに時が経っても、心に響くものは変わらないと感じます。時代によって、流行や文化は少しずつ変化すると思うのですが、その時の関心に合わせた企画も考えているのでしょうか?

日比:現代に合わせて企画するというより、自分が現代にチューンナップされていけば、語ることも行動もおのずと合致していきます。なので、「現代に合わせた施設を作ろう」という順番ではないんです。祖父も、その時代ごとに、自分が一番面白いと思えることをやってきました。

絵の具を製造したり、創造的なものをやってみましょうと言っているのに、自分たちがクリエイティブな生き方をしてなかったら、意義深いものは生まれません。代表として経営と創造性の両輪で考える必要はありますが、まず自分たちが創造的であることはとても重要です。

写真右手前のラックには、「ユーモアカード」という手刷りのポストカードが並んでいる。創業者の橋本氏は「絵を描かなくても、手紙は書くだろう」と言い、生活の中で気軽に楽しめる商品も作っていた。

—創業当時は画家の方が通っていたと思うのですが、訪れるお客様はだんだんと変わっていきましたか?

日比:アートは社会のあり方に影響を受けながら変化していくので、月光荘画材店のお客様も、そういう意味ではどんどん変わっているのだと思います。純粋に画材を買いに来るお客様から変化していったのは、教育の現場で使われるようになったことがひとつありますね。あとは、社会が豊かになるにつれて、一般の人たちも絵を描くようになり、文化が育まれていったと言えます。

教育現場の方々からは、画材の質が高いという評価もいただいていますが、祖父の時代から息づいている考え方や、アートへの向き合い方に共鳴してくださっているのが、とてもありがたいです。子どもたちも、月光荘画材店にお客様として来てくれるようになり、子どもから大人まで輪が広がっていきました。

筆者の娘も、試し書きコーナーの水彩絵の具がお気に入りで、鮮やかな色で自由に描くことに夢中になっていた。

—私も子どもの頃からスケッチブックを使っていました。贈り物としていただいて、喜んで絵を描いた記憶があります。

日比:そうだったのですね。2017年に、『人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ』という本を出版したのですが、「この画材をずいぶん使っていたけど、それほど歴史があったとはじめて知った」という声もたくさんいただきました。ただ、店頭では積極的に歴史を説明しているわけではなくて、プロダクトとしての純粋な存在感を大事にしています。

たとえば、猪熊弦一郎さんと創業者の兵藏が作ったスケッチブック【※4】は、売るためのマーケティングのデザインではなく、アーティストたちとみんなで「ああでもない、こうでもない」とやりとりして生まれました。そうした製品が、100年という風雪に耐えて、理屈や歴史を超え、プロダクトとして「ああ、これいいね」とシンプルに言っていただける。その両輪があるのは、月光荘画材店の宝物だなと思いますね。

月光荘のスケッチブック。デッサンに適した薄手のものから、絵の具でも描画ができる厚紙など、用途によって使い分けることができる。
(画像提供:月光荘画材店)

色と音を暮らしに取り入れる

月光荘のスケッチブックのカラーに合わせて、糸染めからこだわった「月光荘スケッチソックス」。まだ見ぬ風景を探しに出かけたくなるようなソックスとして、2024年に開発された。

—これからも大切にしたいことや、今後展開していきたいことを、改めてお話しいただけますか?

日比:アートという言葉を聞くと、「いや、絵心がないんで」「絵を描かないんで」と、自分とは関係ないものになってしまう場面が、まだまだ多いように感じています。理解できないのは、リテラシーがなくて感性が鈍いからだと思ってしまう、そしてそれをアートが上から見下ろしている…という図式から抜け出せていないように思います。音楽に関しては、カラオケができたことで、歌は歌手のものから一般の人たちが楽しめるものになりました。「歌うってこんなに気分が良いんだ」と、みんなが気づいたんですよね。

絵も、子どもたちが夢中になって描くように、本来は絵描きだけのものではなく、誰にとっても楽しいはずなんです。月光荘画材店は、その喜びを誰もが思い出せる場所でありたいと思っています。色も音も、暮らしの中に十分に取り込めていない状況が、僕たちの次の課題です。

歌うことが楽しくてカラオケボックスに集まるように、楽しいから絵を描いている。自分で作るのも、鑑賞するのも、ものを買う時も、すべてにその感覚で向き合っていただけるような暮らし方を作っていくのが、僕の代の最大の目標ですね。


—最近では、クリエイティブな活動に興味を持つ方が増えていると感じています。社会が豊かになったからこそ、関心が高まっているのかもしれませんね。

日比:近年、あらゆる災害に見舞われて、日本中が大変な経験をしました。衣食住は、最初に整えるべきことで、それが揃わないと人間は生活できません。

でも、僕にとって救いだったのは、2011年に起こった東日本大震災で仮設住宅での暮らしを強いられていた方々が、衣食住がなんとか整ったあとに「音楽や笑いなど文化的なものが欲しい」という声が多かったという話を聞いたことでした。平時ではあまり価値を感じられないものかも知れませんが、衣食住の次に人々がまず欲しかったのは、色や音だったんですね。古代の洞窟壁画を見ると分かるように、本来人間は、食材が獲れただけで歌って踊り、喜びを分かち合って、一生を終えられました。近年の非常に辛い経験を通して、「どうも余計なことが多かったな」と多くの人々が感じているのではないでしょうか。ものをたくさん持つよりも、目の前にいる人を大切にして、その人とどんなコミュニケーションを取り、どうやって一緒に楽しむかのほうが大事だと、無意識にも気づきはじめているのではないかと思います。

そういった意味では、月光荘画材店が取り組んできたことは、今後ますます重要になるし、お役に立てる機会が多くなってくるという確信を深めています。どんな時代でも、より美しく、より魅力的に生きていきたいと願う人々に、僕たちは色と音を通じて寄り添ってきました。これからも、そのアプローチを揺るぎなく続けていき、色感と音感を楽しみながら日常に取り入れる場を作っていきたいです。

銀座の静かな通りに佇む月光荘画材店の外観

(取材日:2025年9月10日)

関連情報

月光荘画材店
アクセス・お問い合わせはこちら

月光荘画室1画室2

MAISON GEKKOSO

月のはなれ

月光荘ファルべ

Art Bank MITOYO

注釈

【※1】日比康造さん Instagram

【※2】与謝野鉄幹(1873〜1935年)、与謝野晶子(​​1878〜1942年)

与謝野鉄幹氏は、近代短歌の発展に関わった歌人・詩人。明治33(1900)年に、文学美術雑誌『明星』を創刊し、晶子氏をはじめ、石川啄木氏ら若い歌人たちを見出した。

晶子氏は、明治34(1901)年に歌集『みだれ髪』を発表し、反響を呼んだ。

《参考》

堺市立歴史文化にぎわいプラザ さかい利晶の杜

・国立国会図書館 近代|日本人の肖像

与謝野鉄幹

与謝野晶子

【※3】猪熊弦一郎(1902〜1993年)

世界各国で活躍した画家。1938〜1940年にフランスへ渡り、アンリ・マティスに師事。その後、およそ20年間ニューヨークを拠点に活動し、帰国後は東京とハワイを往来して制作するなど、晩年まで作品を生み出し続けた。
MIMOCA 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

【※4】月光荘のスケッチブック

創業者の橋本兵藏氏と猪熊弦一郎氏が開発した、オリジナルのスケッチブック。
製品が誕生したエピソードは以下のページに詳しい。

エピソード|猪熊弦一郎と月光荘

(上記全URL最終確認:2025年12月21日)

参考文献

月光荘画材店『人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ』産業編集センター、2021年(初版:2017年)

INTERVIEWEE|日比 康造(ひび こうぞう)

月光荘主人。シンガーソングライター。バイオリン弾き。文筆家。

Official site:https://kozo-hibi.com/


INTERVIEWER|浜田 夏実(はまだ なつみ)

アートライター。1991年生まれ、東京都在住。武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科卒業。「東京舞台芸術祭」事務局スタッフやアーティストのサポートを務めるほか、自主企画でアートを気軽に楽しむイベント・コンテンツを制作。Local Art Writer's School(LAWS) 第1期生。

ポートフォリオ|浜田夏実(アートライター)

https://note.com/ntmhmd/n/n38c1bd069cba