境界なく変わり続ける、波打ち際のような場所。

境界なく変わり続ける、波打ち際のような場所。

斉藤 冴子
2025.11.10

地方都市で現代アートにまつわる活動を行うことは、挑戦というより「実験」なのかもしれない。

都心部のようにアートが日常に溶け込んでいるとは言えない地でのスペース運営は、思うような集客や支援が得られず、ときに孤独を伴う。しかしまだ何色にも染まっていないからこそ、今後その場所がどのように変容していくのか、行方を見てみたくなる。

埼玉県越谷市(こしがやし)で、美術家として活動しながらアーティスト・ラン・スペース「FRINGE」を運営する関口潮(せきぐち うしお)さん。自身の創作活動と店舗経営の両立に悩みながらも、地域に根ざしたスペースの在り方を模索する関口さんの想いを、同じく埼玉県在住の筆者が伺った。

関口潮さん

10万人に1人の難病から新たな表現を追求

ーFRINGEを立ち上げる前は、どのような活動をされていたのですか?

関口:多摩美術大学で大学院まで版画や絵画を学び、卒業後しばらくは作家活動を続けていたのですが、父が食道がんを患ってしまって。東日本大震災も重なり、一度就職しました。和紙を使った壁紙や照明を扱う内装会社だったので、店舗の壁面に水墨画を描いたり。その会社で10年くらいは会社員をしていました。


ーその後患われたご病気のことも、お聞きしてもいいですか。

関口:父が亡くなってしばらくして、原因不明の胸の痛みを感じるようになって。そのうち救急車で運ばれるくらい悪化したのですが、内視鏡検査をしても病名は不明でした。会社も休みがちになって、しんどい時期が結構長く続いて、のちに「食道アカラシア(胃と食道間の筋肉が収縮し食物などが飲み込めなくなる病気)」という10万人に1人の難病であることが分かりました。発症から病名が分かるまで、4~5年はかかったと思います。


ーそれは、つらい経験をされましたね。

関口:ものが飲み込めないので、とにかく噛んで水で流し込むような感じで、当時は食事がトレーニングのような感覚でした。その経験はとても言語化できないものだったので、何か創作に落とし込みたいと考えたとき、それまでやっていた版画や絵画では表現しきれないと感じて。症状が落ち着いた2020年ごろから、清澄白河のアートスクール「アートト」に通い始めました。会社員をしながら休日に講義を受けて、表現以外にもプレゼンテーションやディスカッション、アートの歴史やライティングなども体系的に学びました。


ー現代アートの学び直しを経て、今の表現に行きついたのですね。

関口:当初は版画を活かす形で表現しようと考えていましたが、結果的にまったく違うものになりましたね。美大のころから垢のように付いていた「こうあるべき」という思い込みを剝がしていくような作業で、すごく楽しかった。

関口潮《表出するいたみ1》1150㎜×180㎜×80㎜ グミ、塩ビ菅(2025)

関口:今は病気によって「飲み込めない」という経験から「噛む」という行為を捉えなおして、味のなくなったガムや、グミ、歯科用のシリコンなどで作品を作っています。症状は落ち着いて普通に生活できるようになりましたが、完全に治るものではないので、これからも病気と付き合いながら制作を続けることになると思います。

地元埼玉でアートに触れられる場所を

ーFRINGEを立ち上げるまでの経緯を聞かせてください。

関口:最初のきっかけは会社員時代、東京都荒川区にある「灯明」【※1】というアーティスト・ラン・スペースを知ったことです。街の人がふらっと入れて、アートと食をひとつの空間で楽しめる雰囲気がすごくいいなと思ったし、当時私は年齢的にも30代半ばで、今からギャラリーに所属するのも難しいと感じたとき、自身の発表の場を作りたい思いもありました。

FRINGEの外観。友人に作ってもらった暖簾「酒と芸術」の凛とした明朝体が目を引く。

関口:あとは、1970年代にゴードン・マッタ=クラークが手がけたプロジェクト「FOOD 」【※2】の影響も大きいですね。多様なアーティストが展示をしながら、入れ替わり立ち替わりいろいろな人が集まる、そんな空間を自分も作りたいなと。その場所から生まれる新しい発想や表現を見てみたい、という気持ちもありました。


ー埼玉県の越谷という街を選ばれた理由は?

関口:自分が生まれ育った土地でもあり、子どもも居たので引っ越すという選択肢はなかったことと、このあたりには美術館やギャラリーもないので、何かアートに触れられる場所を作りたい思いもありました。

古くは旧日光街道(江戸時代に日本橋から日光東照宮までを結んだ街道)の越ヶ谷宿として栄えた街なので、歴史ある日本家屋が多く残っています。こうした建築を活用するプロジェクトに携わる方が友人のお兄さんで、店舗物件はその方に紹介していただきました。FRINGEの2軒隣にある古民家複合施設「はかり屋」【※3】の代表も務めている方です。


ー店舗の設計や内装はどのように考えたのですか?

関口:以前はブティックだった物件らしく、そのまま活かした部分も多いですが、カウンターの設置などは地元の大工さんにお願いしました。壁や天井を塗ったり、カウンターに瓦を貼ったりは自分たちで。構造上どうしても下水を通すのが難しかったので、トイレは「はかり屋」でお借りする形にしています。お客さんの行き来も生まれて、結果的には良かったかもしれません。

1階手前が展示スぺース。飲食は基本的にカウンターの6席だがテーブルを出すことも。2階関口さんのスタジオ。

ー店舗の運営体制はどのようにされていますか?

関口:基本的には調理も接客も、展示企画も作家とのやりとりも、私1人でやっています。忙しいときだけ妻に手伝ってもらう形です。


ーなんと、お1人で運営されているとは。料理はどこかで勉強されたのですか?

関口:スパイスカレーだけは越谷のカレー店「mokuromi 」の講座に何度か通いましたが、それ以外は独学です。元々料理は好きだったし、よく飲み歩いたりもしていたので、自然と覚えていった感じですね。

看板メニューの「ココナッツキーマと麻婆豆腐のあいがけ」は、キーマと麻婆豆腐という異色の組み合わせが意外にも合うと好評。

実験的な作品にこそ光を当てたい

ー展示はどのくらいの頻度で入れ替えているのですか?

関口:企画によって異なりますが、大体1〜2か月で入れ替えをしています。場所貸しの場合は作家から会場費をもらい、売上は全額作家へ。企画展示の場合は会場費なしで、売上の半分を手数料として受け取ります。

展示の方法や内容はいろいろですが、基本的には最低限安全面の注意だけ伝えたら、キャプションやステイトメントの有無も含めて作家に全て任せます。企画書から何度も打ち合わせを重ねる人もいれば、メールのやり取りのみで進むこともあります。

記念すべきオープン後初の展示 高橋大輔「FRINGE」展(2023)

ー展示する作家はどのように決めているのでしょうか?

関口:日本国内の小規模かつオリジナルなアート活動を展開する場所を集めた「例外アートスペース」【※4】というコミュニティに参加しているので、そのつながりの中で作家を知ることが多いです。あとは「アートト」に通っていた時代に出会った人に声を掛けたり。

作家選びの基準は明確に決めず、自然なコミュニケーションの中で企画につなげたいと思ってはいるのですが、既存の枠にこだわらない新しい表現を模索していたり、どこかドロッとした影の部分を持っている作家に惹かれます。

鐘ヶ江歓一・ちぇんしげ 2人展「問い詰めてようやく語∈るに落ちる′」(2025)

ーアーティストである関口さんご自身と共鳴するものがあるのですね。

関口:そうかもしれません。万人に受け入れやすい形にした途端面白くなくなる、という感覚はありますね。価値基準が自分ではなく他者になっている作品というか、こういうの作ったら売れるんじゃないかって意図が透けるものって、やっぱり分かるので。

売上を求められるコマーシャルギャラリーでは扱いづらいだろうな、という作家にも光を当てて、自由で実験的な展示ができる場でありたいと思っています。

作家から子ども連れまでの多様な客層

ーどのようなお客様が多いですか?

関口:今はまだ、純粋にアートやカルチャーが好きで来てくれる方は少なくて、近所に住んでいてふらっと飲みに来てくれる方や、作家とつながっている知人が多いです。基本的に営業は夜ですが、土日は15:00から営業していて、ランチをやっている日もあるので、子ども連れで来る方もいます。


ー子ども連れも歓迎、なのですね。

関口:はい、越谷はファミリー世帯が多い街でもありますし。私自身も経験がありますが、子連れで美術館に行くってハードルが高いじゃないですか。以前どうしても内藤礼さんの展覧会を見せたくて子どもを連れて行ったら、警備員さんにずっと監視に付いてこられてしまって。でも、できれば小さいころからアートに触れてほしいし、同じように思う親は多いと思います。

繊細な作品のときはヒヤっとする場面もありますが、なるべく子どもにも自由に見て、感じてほしい。以前、展示スペースの空いている場所にどこからか板を持ってきて、すべり台を作って遊び始める子もいましたが(笑)ああ、こうやってどこでも自分の世界を作り出せるっていいなと思いました。

DJイベント「舌と耳の境目」(2025)では近所に住む家族連れも多く訪れた。

ーギャラリーではなかなか見ない光景ですね。飲食店併設という性質上、安全面や衛生面で気を遣う部分もありますか?

関口:酔ったお客さんが作品にぶつからないように、といった注意はありますが、今のところ大きな問題はありません。お客さんが長く滞在することで作品をじっくり鑑賞してもらえるし、何度か飲みに来ているうちに気に入って買ってくれたりもします。作家もカウンターで飲みながら話をすることもできます。

ただ、私は飲食店をやりたかったわけじゃないので、作家としての活動とのバランスは今すごく悩んでいるところです。

店舗運営と創作活動の両立に悩み

ー店舗運営にあたって悩まれているのは、具体的にどんなことですか?

関口:経営を続けるために飲食店として収益を上げる必要があるので、どうしても創作活動に充てる時間と思考が限られてしまって。昼の集客のためにランチ営業もはじめたので、最近は買出しをして、仕込みをして、店頭に立つことで精一杯になってしまっています。

料理を作ることは好きですし、なんとなく作品制作に通ずる部分もあるので続けたいのですが、両立は予想以上に難しかったです。


ー集客はどのようにされているのですか?

関口:いまはInstagramとGoogle mapへの掲載をしていますが、本当はもっと自分が前に出て発信していったほうがいいんだろうなと思いつつ、苦手なんですよね。

以前経営コンサルタントの方に相談した際「店頭にのぼりを立てたり、お客様にわかりやすく飲食店であることを訴求しては」とも言われたのですが、やっぱり自分が作りたい場所のかたちとして譲れない部分はあって。


ーこの地域の方たちにとって「アーティストランスぺ-ス」とはどういうものなのか、わかりづらい存在かもしれないですね。

関口:そうですね。いまだに「ここは何のお店?」とよく聞かれますし、新規のお客さんが入るにはハードルが高いのかなとも思います。2023年11月のオープンから2年経ちますが、ここの存在をどう伝えていくかはずっとジレンマです。


ー店舗運営と創作活動は、関口さんの中でどのように関わっているのですか?

関口:時間的な制約はあるものの、なるべく両者を離したくないとは思っています。やっぱり日常の延長線上に生まれる作品のほうが、説得力やリアリティがあるので。2025年に東京都墨田区の「あおば荘」で個展をしたのですが、そのときの作品は店の排水が詰まってしまったトラブルから発想を得て、自分が過去に経験した飲み込めない病状とイメージを重ねて制作したものでした。

今後は、たとえば料理をすることが何かの表現と結びつくこともあるかもしれません。将来的には飲食店を週3日営業にして、制作時間を増やせたらと考えることもあります。

2025年に開催した「あをば荘」での個展の様子

ーFRINGEで関口さんご自身の作品を展示することはあるんですか?

関口:以前少し企画展の期間が空いたとき、1回だけ展示したことがありました。でも毎日見ている光景なので、作品を掛けてもどこか新鮮味がないというか。どうしても他のギャラリーのほうが、自分自身では魅力的に見えてしまったりしますね。

枠を超えてゆるやかに変容する空間へ

ーいろいろな悩みを抱えつつも、関口さんがFRINGEの運営を続けているのはなぜでしょう?

関口:単純に時間が欲しいなら、会社員に戻って休日に作品制作をしたほうが良いだろうなあと思います。でも、この場所があることで、自分でも思いもよらなかったことが起きるんですよ。

たとえば作家のナガクボケンジさんの個展をやったとき、会期中店内でライブをやろうという話になり。大所帯のジャズバンドや即興演奏、3日間いろいろなジャンルの音楽家を集めたちょっとしたフェスのようで、普段とはまったく違う雰囲気になりました。こういう偶発的なつながりは、自分で場所を持っていないと生まれない。アーティストもそうですが、他のジャンルの人も、もちろん地元のお客さんも、いろんな人たちが混ざり合う場でありたいと思っています。

2024年に開催したナガクボケンジ展「鼻を盛る」の中で行ったジャズバンド演奏の様子。

ー店名の「FRINGE」にはどんな想いがあるのでしょうか?

関口:アートスクールで美術批評家の沢山遼さんの講義を受けたときに出会った「絵画のフリンジ」という言葉がもとになっています。

絵画において額縁とは、作品と外側を隔てるものとされているけれど、むしろそこから他のものが絶えず侵入し、作品を飛び越え、自己と他者の境界をも侵食する機能がある。この場合フリンジ(周縁)という言葉は絵画だけにとどまらず、人間関係にも当てはまり、絶えず揺れ動く波間のようなものだ、と。そのお話にすごく惹かれてしまって。

私のスペースも、絶えず変化しながら様々な人やアートや文化が干渉し合う「波打ち際」のようになればという想いで、店の名前にしました。

FRINGEのロゴは、自己と他者の境界を超える「フレーム」と「波打ち際」をモチーフにした。

ー先ほど「ここは何のお店?」と尋ねられるというお話もありましたが、あえて定義しないことがFRINGEらしさであるような気もします。

関口:飲食店やカフェでアート作品を飾っているところは多いですが、私にとって作品は「お飾り」の要素ではないので。展示の内容によって店内の空間そのものが大きく変わるし、むしろそれがここの魅力だとも思っています。

飲食をやめてギャラリーにすれば運営はシンプルかもしれませんが、それはそれでお客様の層も限られるし、可能性を狭めてしまうことになる。だから、悩みも多いですが、良いバランスを見つけてやっていきたいと思っています。

アーティストは「外の世界」への扉を作る人

ー最後に、関口さんのアートに対する考えを聞きたいです。アートは、人々の生活や社会にどのような影響を与えるものだと思いますか?

関口:アートは、自分が収まっている「枠」の外に目を向けるためのものであり、アーティストはその「扉」を作れる人かなと。

会社でも学校でもそうですが、やっぱりみんなすごく型を作って生きてるじゃないですか。私は10年くらい会社員をやっていたので、当時はすごく息苦しさを感じていました。いざ自分で店をやってみると、会社員がいかに恵まれていたか思い知る一方で、外に出ないと見えなかったものがたくさんあるなあと。

だから、普段は枠の中にいる人たちにも「外の世界がちゃんとあるよ」っていうことを伝えて、ちょっと覗けるような扉をつけてあげる。警鐘を鳴らすというと大げさですけど、新しいものを示唆したり、知らなかった感情を引き出したりできるのが、現代アートなのかなと思います。

店内奥にあるアーチ型の開口は、関口さんの話す「外の世界につながる扉」を想起させる。

ーアートが「外の世界」への扉を開くイメージは、変容しながら多様な人々を受け入れるFRINGEの空間にぴったりです。

関口:会社員だと平日に美術館やギャラリーに行くのはなかなか難しいと思うので、帰りにここで1杯飲みながら展示を見て、リフレッシュしてもらえたらなと。もっとアーティストたちが集まる場にもしたいし、持ち込みで展示できるスペースとしても活用してもらえたらいいですね。

ーこの先やってみたい企画などはありますか?

関口:展示以外にもライブやDJイベントをやったり、どのようにも使える空間なので、トークイベントの配信などもやってみたいです。

アートと人をつなぎたいみたいな想いは多分揺らがないんですが、場所としてはこの先も変わると思うし、変わっていきたいです。いろいろな属性の人たちが集まることで生まれる気づきや、そこから派生する表現がきっとある。そういう化学反応を、ここでたくさん作っていけたらいいなと思っています。

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関連情報

FRINGE公式インスタグラム

注釈

【※1】灯明:東京都荒川区にあるアーティスト・ラン・スペース。灯明(トウメイ)は食堂、Lavender Opener Chair (ラベンダーオープナーチェア) はギャラリー。 二つのプロジェクトを一つの場所で運営している。

【※2】 FOOD:1970年代のNYでアメリカ人アーティストのゴードン・マッタ=クラークが仲間たちとオープンした伝説的レストラン。アーティスト自らが調理や経営を手がけて収入を得つつ、創作やパフォーマンスの場も兼ねていた。

【※3】はかり屋:明治38年の建物旧大野邸を再利用した6店舗からなる古民家複合施設。こだわりのショップやレストラン、カフェが入居している‍。

【※4】 例外アートスペース:美術館やコマーシャルギャラリーとは一線を画すユニークな活動を行う「例外」のアートスペースをリストアップしている‍。

(上記全URL最終確認2025年11月10日)

INTERVIEWEE|関口 潮(せきぐち うしお)

1979年埼玉県生まれ。多摩美術大学大学院・美術研究科絵画学科版画研究領域修了。会社員を経て2023年にアーティスト・ラン・スペース「FRINGE」をオープン。美術家として活動しながらスペース運営を行う。自身の難病の経験から、個々の経験や感情が社会の見えないルールや思い込み、決まりによっていかに蔑ろにされているかを炙り出すための作品を制作している。2020年「シェル美術賞2020」入選(国立新美術館、六本木)「Multigeneration Square/交錯する世代、対峙する絵画」(藍画廊、銀座)、2023年「WATOWA ART AWARD2023」ファイナリスト(WATOWA GALLERY、浅草)

INTERVIEWER|斉藤 冴子(さいとう さえこ)

ライター。1990年生まれ、埼玉県在住。日本女子大学被服学科卒業後、オーダースーツ専門店勤務を経て「衣」から「住」への転身を決め、現在は家具メーカーで販促企画制作の仕事をしながら複業ライターとして活動中。志を持って生きる人の営みに光を当てるインタビュー記事や、インテリアコーディネーター資格を活かした住宅・建築関連のコピーやコラムを中心に執筆。LAWS(Local Art Writer's School)1期生。

・ポートフォリオ|斉藤冴子(ライター)