神戸で紡ぐ、小さな奇跡ーArtist in Residence KOBE 松下麻理さんの想いー

神戸で紡ぐ、小さな奇跡ーArtist in Residence KOBE 松下麻理さんの想いー

岩田 友子
2025.11.30

異人館の街・神戸市中央区北野。その街並みに溶け込む外国人アパートにArtist in Residence KOBE(以下:AiRK)【※1】はある。AiRKは2022年に6人の仲間たちが立ち上げた、アーティストインレジデンスだ。扉を開けて迎えてくれたのは、メンバーの1人で住み込み管理人の松下麻理さん(以後:麻理さん)。国内外から訪れるアーティストを迎え、共に生活をし、送り出している。その上品な雰囲気とチャーミングで軽やかなお人柄で「まりさん」「Mari-san」と慕われ、AiRKに集う人々にとってなくてはならない存在となっている。私自身、2024年に行われた「AiRK Research Project (ARP)【※2】ボランティアに参加した際に出会い、そのお人柄に惹かれたひとりだ。

神戸新聞「アークからの風」に掲載された麻理さんの「この部屋のことを皆に知ってもらえたらいいのに」という言葉を読んで以来、日々AiRKのなかで起きていることをもっと知りたいと思っていた。また、これまで多彩なキャリアを通し、神戸のまちに寄り添ってきた麻理さんは、いま「神戸とアートをつなぐこと」についてどのように考えているのだろうか。

麻理さんのこれまで、いま、これからのお話を伺った。

松下麻理(まつした まり)さん。AiRK前にて。
北野の観光地を抜けた住宅街。坂道を登ると見えてくる外国人マンションにAiRKがある。

神戸が好き 人と接するのが好き


ーご出身は奈良で、就職から現在まで長い間を神戸で過ごされていますが、神戸との出会いや何かきっかけはあったのでしょうか?

麻理さん:大学時代に時々遊びに来ていたんです。その当時私の目に映る神戸は本当にキラキラしていて、光の色からして違うよねと。後々、六甲山に光が反射した色だと知ったのですが、今まで見てきた世界とは違う世界やと思っていました。

当時は、奈良に住んでいて京都の大学に通っていました。入っていた弓道部はすごく厳しく、クラブ活動しかできなかったので、自分が新しい世界に飛び込めるか自信もなかった。どうせ落ちるだろうと就活で神戸ポートピアホテルを受けたんですが、なぜか受かっちゃって。親も「もうそこまで行きたいんだったら」と賛成してくれ、神戸市中央区に引っ越しました。「このまちは私をどう変えてくれるのだろう」と、22歳の私はすごくワクワクしながら暮らしていました。神戸と名のつくものは全部手を出してね。太陽神戸銀行(現:三井住友銀行)でキャッシュカードを作って、神戸新聞を購読して……。


ー憧れのまちだったんですね。

麻理さん:憧れです。ほんとに。


ーホテルに就職しようと思われたキッカケはなんだったのでしょう?

麻理さん:ホテルの語源は、ホスペスなんですが、人と関わり、その人に何かをしてあげることが元々好きだったんですよね。あと神戸が大好き、というこの2つは、職を転々としていますが、貫かれているなと感じます。


ー人が好きということですか?

麻理さん:そうですね。人と接するのが好きです。あと、もてなし好き。趣味はおもてなしって最近よく言うんですよ。


ーおもてなしの話ですが、AiRKのメンバー森山未來さん【※3】やアーティストの久保田沙耶さん【※4】も、「まりさんのおもてなし」のお話をされています。私も麻理さんの自然とそこにいて、周りのことを見てくださってるような佇まいが印象的でした。おもてなしの原点は、ホテルでの経験があってこそですか。

麻理さん:それはホテルで叩き込まれた「見えない存在なんだけれど確かにそこにいて、お客さまが心地よいと思うサービスを提供するのがプロだ」ということが、体の芯に入ってるとは思いますね。

こういう場をせっかく持っているから、みんなが仲良くなって、新しいものを見つけてほしいと思っています。ただ自分がもてなしたいというだけではなくて、それによってこの場所がいい雰囲気になって、みんなが何かを持って帰れたらいいなというのは常にあります。場ってとても大事だなと、AiRKに来て特に思いましたね。
ここで出会った人が仲良くなっている様子とか、そんなことが積み重なっていくのを見てるのが楽しい。

AiRKでの歓送迎会の様子。
アーティストたちに人気のたこ焼パーティーに、子どもと一緒に参加させてもらった。
この日の参加者は滞在を終える現代アーティストの土屋享さんと【※5】、滞在が始まる映画監督の神保慶政さん【※6】、現代アーティストのクレア・チャールズさん【※7】とフレイヤ・ドゥーリーさん【※8】、クレア・フレイヤの滞在をサポートするアートマネージャーの松田雅代さん【※9】。ほとんどが初対面というメンバーが和気藹々と食事を共にし、少しずつ距離を縮めていく温かい雰囲気が心地よい時間だった。ウェールズ出身のクレア・フレイアがたこ焼きに挑戦する姿を、麻理さんはうれしそうに撮影していた。


まちを思う人を増やすこと


ーホテルでウエディングプランナーとして働かれていた2001年、前任者の退職で広報の担当となったんですよね。ホテル退職後の2010年に神戸市初の広報専門官として採用され、2013年には広報官に就任。震災20年を迎えた2015年、神戸市が発表したシビック・スローガン「BE KOBE」【※10】プロジェクトの中心にいらして、同年にはTEDxKobe【※10】にも登壇されています。
麻理さんのこれまでについて調べている中で印象的だったのが、TEDxKobe2015のプレゼンテーションです。10年経っても、いまの話だと感じました。 「まちを思う人を増やすこと」についてお話されていましたが、震災から30年となる今、改めて感じていることはありますか。

麻理さん:基本は、今もそれが大事だと思っています。あと神戸のまちには、自分のやりたいことで、みんなのためにもなることを実現しているプレイヤーと呼べる人が増えたなと感じています。それはすごくいいことだと思う。私もそのプレイヤーの1人でいたいとずっと思っています。上から批評するのではなくて、自分が動いて周りの人たちと一緒に活動できるほうが好きです。無理なくできることから、自分のことだけではなく、みんなのためになることを少しでもできる人が増えていけば、まちを変える何かのきっかけになるのではないかというのが、あのBE KOBEを作った思いで、TEDxで語ったことでもある。やっぱり、この街をどれだけ愛しているかということやと思うんです。

ただ、それをアートという分野で何ができるのかということは、私もまだ全部はわかっていません。でも「アーティストの持つ違う目線で見たまち」みたいなものを、神戸の人たちにお見せすることは、まちを別の視点で見たり、誇りに思うきっかけになったりするのではないかなと思っています。

リビングルームの本棚には、神戸に関する本が並んでいる。すべて麻理さんの蔵書。

つながる場所への確信


ー麻理さんは、2015年4月から神戸国際観光コンベンション(現在:神戸観光局【※12】)で神戸フィルムオフィス【※13】を担当されていましたよね。その後、2021年に神戸で撮影された映画「I ai」の現場で森山未來さんと出会ったことが、AiRK立ち上げのきっかけとなると聞きましたが。

麻理さん:そうですね。森山さんから「神戸でレジデンスをしたい」と聞いたときは「アーティストインレジデンスって、何?」って。最初は自分がするとは思ってもいなかったから、「何でも手伝いますよ!」と。森山さんは国内外のレジデンスを経験していて「同じ場所で生活をしながら、この街の風景・文化・風土といったものを落とし込んでいくことに価値があるんだ」ということを教えてもらい、完全には解ってはいませんでしたが、この人がこれだけ言うんやったらええもんなんやな、と思っていました。

あと、私たちがクラウドファンディングをした時にも書いたのですが【※14】、映画「ハッピーアワー」も立ち上げのきっかけになりました。まだ無名だった濱口竜介監督【※15】が、この映画で国際的に評価され、その後カンヌやアカデミー賞と世界を舞台に活躍されるとは誰も思ってもいませんでした。でも、新長田の人たちが支えたからあの映画は完成して、今の濱口さんもあると思うんです。私はまだ市役所に勤めていたので、その現場にはいなかったんです。そんな奇跡を1回見てしまったから、「こんな奇跡を私も起こしてみたい」とずっと思っていて。もしかしたらこれはできるのでは、とやってみてもいいかなと思ったんです。

そして、自分1人で受けるのはあまりにも荷が重いけれど、仲間もできて「一緒にやろう!」「やるか!」と始めたわけです。

だから、ここがつながる場所になるという確信も全くなかったし、自分がどういうことをしようとしてるのかも最初はわかっていなかった。色々な人を迎え入れて、その中で毎回いろんなことが起こるじゃないですか。それがまた繋がっていったり、ほかの場所に飛んでいったり、そういうことが起こるんですよね。私はそれを小さな奇跡と呼んでいて。濱口さんのような事は大きな奇跡ですが、ここでは毎月のように小さな奇跡が起こっていますよ。

ここまでの確信に変わるまでにはちょっと時間がかかったけれど、アーティストと神戸をつなぐということの意義や大切さには腹落ちしました。1年ぐらいでなんとなくすごいなとは思いましたが、今はもう確信していますね。


AiRKに専念する為に、2025年3月で神戸観光局・神戸フィルムオフィスをご退職されたんですよね。

麻理さん:やっぱり仕事をしながらだと、もう少しこうしたら良かったなということが、ポロポロとこぼれ落ちているように感じて。「こんなことを経験させてあげられたらよかったんじゃないかな」とか、「展示会にもっと自分が関わってやれたらよかったな」とかそういった事は色々ありましたね。

リビングの様子。
北野の外国人マンションの修繕を一手に担う大工さんが、今もこの場所に合う家具を持ってきてくれるそうだ。

第三者として語る役目

麻理さん:アートは好きですが、未だに説明してもらってようやく分かる感じです。だけどそれも大事。仲介するのにわからない人の気持ちが理解できないと。みんなが分かりきってる世界なんてないですよね。


ーつなぎ役になってくれる人がいないと、なかなかまちで受け入れてもらえないかもしれませんよね。

麻理さん:ほんと、そういう感じだったんです。私自身はフィルムオフィスの仕事をしながら、映画に馴染みがない人にも「ここで撮影したいんですけど」とお願いをしたりして。まちの人たちと映画をつなぐという仕事は、もう10年続けているんです。その人たちなりに楽しめるポイントを少しでも作れたら、興味がガッと上がっていくし、どんな作品でも色々な推しポイントがあるんですよね。それをいかにうまく喋るかによって、協力してもらえるかどうかも変わってくるという事は何度も経験してきているので、そこには自信があるんです。そういう役目は絶対にいると思う。

私の偏見かもしれませんが、特にアーティストって決められた枠にはまるのが嫌だからこそアーティストをしていて、自分の表現を追求したい人たち。相手のことを考えて伝える人は少ないように思います。私はそれを第三者として語る役目はできる。アーティストの着眼点の面白さや、彼らがどのような暮らしをしながら何を考えているのか、ということを庶民の言葉にして、いろんな人に話をすることは割と得意です。

滞在した現代アーティスト・久保田沙耶さんが残していったもの。

小さな奇跡がつながるとき


麻理さん:
時には私も思ってないような転がり方をして、小さな奇跡が生まれていることもあります。

今年の2月に滞在していたスペイン人のマリエッタちゃん【※16】は、肖像画を描く人だったんです。最初は知ってる人をモデルにしていたけれど、描くのが早くて、来たばかりですぐに尽きてしまい、そんな時に隣に住む人を描きたいと言い出したんです。私から相談してみたら「僕らでよければ」と。そしたらウマが合ってね。そこから勇気が出たのか、どんどん外へ出て行って色々な人にお願いして描きまくって。しまいにはバーで隣の席だった人にも声をかけたり。私は「大丈夫?」って母親みたいな心配もしたけれど、本人は「OK!OK!」って言いながらたくさんの枚数を描きあげて、ROSEGARDEN【※17】で展示をしたんです。そしたらものすごい数の人がやってきて。描かれた人は自分の絵を見たいし、その周りの人も見に来るし、大盛況でした。その時、ちゃんとまちの中に広がってる、なるほどと思ったんです。そういう風にきっかけだけ作ったらあとは自分でやれる人もいるし、ずっと閉じこもってるから引きずり出してあげなきゃという人もいて。それも大きなお世話になる場合もあるから、状況を見ながらうまくサポートできればいいなって思っています。 

あと、去年展示したサムくん(サム・ワイルド)【※18】から、この小包が送られてきたんです。

イギリス人アーティスト・サム・ワイルドさんから届いた小包。
2024年の「ARP vol.2」の際に制作したステッカーのカエルたちが、素材を変わり成長して送られてきた。
山田悠+サム・ワイルド 2人展「ARP vol.2 Walls and Frogs - 境界線に見るあわい -」(2024)【※19】
山田悠さんの展示室。北野の壁をフロッタージュした作品が展示されていた。
サム・ワイルドさんの展示風景。サムさんは神戸をリサーチし、山と海が近く独特な関係性から両生類のカエルをモチーフに作品を制作した。ピンク色の壁に、来場者が同じ形でも模様が違うカエルを1枚ずつ貼っていく。互いに交わることも、交わらないことも許されたカエルたちは、会期終了まで少しずつ増えて行った。

麻理さん:今年サムくんはロンドンのビクトリア&アルバート博物館で、展示とワークショップをしたんです。インスタで見てすごいなと思っていたら、この小包が届いて。手紙には「AiRKでのことが自分のキャリアの中でもすごく重要なものだった。」と書いてあるんです。それと、サムと同じ時期に滞在していたスコットランド人のジェイムス【※20】とは、今でもイギリスでランチをしたり、AiRKの話をしてると。これが最近すごく嬉しかった話。


ーすごくいいですね。展示が終わるとそこで1回終わってしまうような感じがしますが、ここで見つけたものは繋がっていくんですね。サムさんの展示、面白かったですよね。壁のカエルがもっと増えてくれたらいいのにと思いながら在廊していました。

麻理さん:あの頃は、まだまちとの関係が十分に作れていなかったと思っています。

ただこの2月からは毎月のように、OPEN CALLのアーティストたちがワーク・イン・プログレス(成果発表)をしているんですが、だんだんと周囲の人たちとの関係や、それぞれのアーティストとの関係が出来てきて「また行ってみようか」と定期的に来てくれる人も増えてきています。今年のARPは入場料をとるのをやめようと話しているんですよ。去年までは入場料がかかることで見に来たけど帰ってしまう人も多くて、見てもらうことを大事にした方がいいと思ったんです。でもこれ、ちょっと嬉しいでしょ。



開かれた場所をきっかけに

MOTOKOLOGYが実施されているJR元町駅高架下・元町高架通商店街(通称「モトコー」)この場所は再整備が予定されている。
今回の取材はAiRKで前半を行った後、麻理さんとMOTOKOLOGYに行き、後半を行った。

ー2025年7月から2026年3月31日までの間、JR元町駅高架下で行われているアートプロジェクト「MOTOKOLOGY」【※21】に参加されていますよね。ここでの展示について教えてもらえますか?

麻理さん:やっぱりAiRKはプライベートな空間で。私にとってもそうだし、アーティストが安心して生活していただける場所であってほしいので、誰でもいつでもどうぞっていうわけにはいかないですよね。一方で、AiRKで行われてることはみんなに知ってほしいともすごく思っていて、こんなに豊かな時間が過ぎているんだということを、少しずつでも開いていきたいなっていう気持ちはずっとあるんです。どれほど開いていけるのかは分からないけれど、そのきっかけになるかもしれないと思っています。


ートークイベントもされていますよね?

麻理さん:トーク【※22】もその1つで、色々な人の視点からAiRKを語ってもらい、来てくれた人にAiRKってそういう場所なんだなと思ってもらえるような機会になってほしいし、そこからまた新しい関係ができるんじゃないかな、と思っています。最初の私がそうだったように、アーティストインレジデンスって、ほとんどの人が分からないと思うんです。私もまだ全部わかっているとは言えないし、他のレジデンスのこともあまり知らない。だから、他のアーティストインレジデンスについての話を聞いたり、「そもそもアーティストってどんな人なんだろう?」とか、元々アートと関わりがなかった私自身が抱いていた疑問や知りたいことを聞いてみたら、それはアートをまだあまり知らない人たちの知りたいことになってくるんじゃないかな、と思います。


ーこの高架下は地域の人たちにとって生活の通路でもあるので、偶然通りかかってAiRKに出会うこともありそうですね。

麻理さん:本当にそう。そういうこともあって、新しい化学反応が起きるんじゃないかなと楽しみにしてます。

MOTOKOLOGY・AiRKサテライト会場の風景。数ヶ月かけてメンテナンスをしスタートした。これまで滞在したアーティストの作品が展示されており、オープン時には麻理さんが在廊している。

あり続けるために


ーこれからAiRKを通して、他にも個人的にもやってみたいことはありますか?

麻理さん:遠い将来、私がもうこの仕事を続けられないぐらい歳をとり体力的に限界が来た時には、いろんな国を巡って出会ったアーティストたちと再会したいと思っています。

それまでは、1つ1つの出会いを大事にして積み重ねていきたい。みんなやりたいことや持っているスキルや色々なものが違うので、その人に合う方法で思うことを表現してもらえるようにサポートしたい。派手なことではなく、1つ1つの出会いに自分が納得いく形でサポートすることを常にしていたい。そして、それをちゃんとまちの人たちがわかるように開いていきたいです。

ーまちの人がわかるようにというのはとても大切なことで、そして時間がかかりますね。

麻理さん:そうですね。だから、これは10年、20年とかかる。この3年でここまで来ているから、10年経ったらだいぶ蓄積されていると思います。AiRKに来たアーティストがまちの人と交流して、その人たちも喜ぶというのが、もっともっと当たり前になっていけばいい。北野だけでなく、神戸や、あるいは他のまちからでも、滞在アーティストの作品を見たり、交流することを目的に来てくれる人が増えたらいいですね。


ーアートを通して、まちと人との接点を増やせる感じがしてとても素敵です。着実にやっていけば辿り着ける、麻理さんのお話を聞いているとそう思います。

麻理さん:じわじわ広がっていくと思います。水が染み出すようにじわっと広がっていく場合もあるし、鳥が種をぴゅっと落としてどこか違うところで花を咲かせることもあるかもしれません。サムくんなんかもそんな感じですよね。色々なところで花が開いていくものだということは、この3年でしっかりわかったので、それがもっともっと増えていくようにしたいです。まちのなかでも、日時計だったり、カエルだったり、自分の好きな感覚で興味を持ってくれる人が必ず現れてくると思います。だから、日々積み上げていくものだと私は思っています。



ーそれでは最後に、何か伝えきれていないことなどはありますか?

麻理さん:やっぱり私が楽しいだけでは持続する可能性が薄くなるので、若い世代の人たちにたくさん関わってもらい、そのうちの誰か跡を継いでくれるような人を見つけないと。今すぐにという話ではないと思うんだけれども、間口を広げるということはそういう意味でもあるのかなと思っています。


ーAiRKがあり続けないといけないですもんね。

麻理さん:そう、いつか私だってもう体が動かなくなる時が来るだろうし、自分は好きでやってるから楽しくていいけれど、そういう危機感は持ってます。

MOTOKOLIGY壁面に制作された、山田悠さんの「Sun of the City,Kobe」 役目を終えた看板が、太陽の動きとともに時を表している。

注釈

【※1】Artist in Residence KOBE(AiRK)

2022年、神戸市出身の俳優・ダンサーの森山未來、テクニカル・ディレクター、アート・ディレクターの遠藤豊、神戸R不動産の小泉寛明、EAT LOCAL KOBEの活動を主導する小泉亜由美、松下麻理、デザイン・クリエイティブセンターの大泉愛子ら6名によって立ち上げられたアーティストインレジデンス。各メンバーの名前の頭文字から HAAYMM (ハイム)と命名。開設から2025年11月までに日本全国・世界各国から延べ189名のアーティストを受け入れている。

【※2】AiRK Research Project (ARP)

多様性を持つ神戸の魅力をアーティストの視点によって再発見し、新しい神戸の魅力として国内外へ発信することを目的としてた作家滞在型展示プログラム。

【※3】森山未來 

【※4】久保田沙耶 

【※5】土屋享

【※6】神保慶政  

【※7】クレア・チャールズ
南ウェールズを拠点とするアーティスト兼オーガナイザー。

【※8】フレイヤ・ドゥーリー

【※9】松田雅代

【※10】BE KOBE

【※11】TEDxkobe 2015

【※12】神戸観光局

【※13】神戸フィルムオフィス

【※14】クラウドファンディング「神戸中心部の山麓異人館街・北野に国内外のアーティストが滞在できるレジデンスをつくりたい。」(2022年6月30日終了)

【※15】濱口竜介
映画監督・脚本家。
「ドライブ・マイ・カー」などの作品が国際的に高い評価を受け、米アカデミー賞と世界三大映画祭のすべてで受賞を果たした。

【※16】ROSE GARDEN
所在地:兵庫県神戸市中央区山本通2丁目8−15
1977年竣工 レンガの外観とネオンサインが特徴的な、安藤忠雄の初期代表作。

【※17】マリエタ・ロハス・アグエロ

【※18】山田悠+サム・ワイルド 2人展「Walls and Frogs - 境界線に見るあわい -」

【※19】サム・ワイルド 

【※20】ジェイムス・アルボン

【※21】MOTOKOLOGY(モトコロジー)

【※22】AiRK管理人まりの 普段着トーク
2025年9月からMOTOKOLOGY でスタートした企画。毎週、麻理さんが話してみたいゲストを迎えゆるっとお話を聞く。初回のゲストは、OPENCALLで滞在したイギリス人アーティストのクレア・チャールズとフレイヤ・ドゥーリーの2人。

(上記全URLの最終確認は2025年11月30日)

INTERVIEWEE|松下 麻理(まつした まり)

1962年、奈良県出身。一般社団法人ハイム 代表理事・Artist in Residence KOBE(AiRK)管理人
神戸市内の3つのホテルで勤務、2001年からはホテルの広報を担当する。2010年に神戸市が初めて公募した広報専門官に就任。2013年から広報官として神戸市政の広報を担う。
2015年、阪神淡路大震災から20年の年に発表された神戸市のシビック・スローガン「BE KOBE」プロジェクトの中心人物。同年任期満了後は、神戸観光局・神戸フィルムオフィスを担当。また2022年からは神戸フィルムオフィスでの活動の傍らで、5人の仲間とともにAirtist in Residence KOBE(AiRK)を立ち上げ、管理人として施設の運営を行っている。

INTERVIEWER|岩田 友子(いわた ともこ)

1986年 東京都出身。Local Art Writer’s School1期生。
兵庫県西宮市在住。一児の母。
有形無形問わず、物語のあるモノが好き。
セレクトショップとギャラリーでスタッフをしながら、地域とアートとの関わり方を模索している。